はじめに

 

多くの手技療法は予め定められた明確な施術の形を持ちますが、これは「型」を決めることで誰もがその療法の効果を正しく発揮できるという意義を持ちます。ただ「何にでも効く薬」がないように、どんな療法も「全てに対して効果がある」ということはありません。術者の側で先に「施術の型」を決める限り、それに合わない患者さんは必ずいるものです。それに対して大和整体は明確な「型」を持たないので、患者さんに合わせてその都度施術の内容を組み立てていくことになります。これは面倒かつ大変な作業ですが、そのために「既存の療法が合わなかった患者さん」に対して効果を持つのだと考えます。

 ただ、予め決められた「施術の型」を持たないからといって、術者の側に明確な施術観が必要ないというわけではありません。整体である以上、明確な目的に対して「全身を整えていく」必要があります。例えば術式の一では全身の筋肉の張力を揃えることで、体を本来の自然なバランスへと正していきます(こうした施術観を元に施術内容を患者さんに合わせて組み立てていきます)。ただこの術式の一の考え方で全ての症状に対応できるわけもないので、それを補うものとして術式の二、三と続くことになります。それぞれが明確な施術観を持ち、その施術に施術観に沿って全身を整えていく「整体」なのです。つまり術式が八つあるということは、大和整体の中に八種類の整体法があるということになります(八つはあくまで便宜上の区分です)。

この八つの区分は、私がこれまで大和整体でやってきた足跡でもあります。まずは術式の一、筋肉の張力を整えることを目的にし、それが自分の中で一旦完成するとそこでようやく「足りないもの」が見えてきます。そうしたら術式の一の考え方は一旦捨てて、施術観を全て術式の二に置き換える。それがまた一旦完成したらやはり足りないものが見えてくるので、施術観そのものを術式の三に置き換える。そうしてある一定期間を1つの術式をまとめあげることに費やしてきました。術式の三をやると一の新たな形が見えてきて、また一に戻るなど、何度もいろんな術式を繰り返したものです。これを書いているいま現在でも、術式の一の新しい側面が見えて練習をしているといった次第です。術式の一が簡単で術式の八が難しいという意味ではありません。

どの術式も、それ1つの施術観で「全ての症状に対応できる」ということはないので、それぞれが補いあうような関係性を持ちます。ただしそれぞれはあくまで「1つの整体法」なので、施術観を1つにまとめないまま八つの技法を混在させても何の意味もありません。あくまで八つのうちのどれかに施術観を定め、その方法論で施術の形を完成させ、その後に他はそれを補うものとして用いていくものとします。術式の違いは施術観だけでなく、手技そのものが根本的に異なるので、混在させて使うこと自体に無理があるのです(複数の術式で施術すると体の反応がバラバラになり不安定となる)。ただし術式の一と三については他の術式全ての基本となるので、他の術式が合うという方(術者)にも充分な練習をして貰うようにしています。


 

その一

 

はじめて手技療法を行う人にとって一番理解がしやすく効果の実感も得やすいのが「筋肉の張力」を主体とした施術です。これはマッサージ・按摩の類と言い換えれば分かりやすいと思います。体に触れて日が浅い術者にとっては運動軸の捩れや内臓の不調、循環不全などといった難しい問題より、まずは筋肉の硬さ・柔らかさといった筋肉の張力の問題が主対象になるでしょう。術式の一はこれに相当しますが、目的とすべきは「整体=体を整える」ことなので、硬い筋肉を柔らかくすればいいということではありません。硬い筋肉は和らげ、緩い筋肉は締める。そうして全体の張力を均一に整えることで初めて体が整います。

これを体の歪みと絡めて考えていくと、体が歪んでいることはよく「骨格の問題」とされますが、骨そのものに独自に動く力はありません。骨の位置はそれを支える筋肉の張力によって決まるものです。よって「体が歪んでいる」ということは、それを支える筋肉等、軟部組織の張力に不均衡があるということになります。ある骨を支える周囲組織の張力を均一に整えれば、その骨は正しい位置を保つことができます。これを全身に対して行うと、結果的に骨は本来の自然な位置で保たれることになるので、体の歪みが正されることになります。歪みが正されること、また体を支える軟部組織の張力が均一になることによって、体は内外で正しく機能します。

この「張力」を全身で整えるということは、体の各部位で張力を均一にすることの他に、1つの部位の浅層・深層で張力を均一にするという意味もあります。ただ筋肉表面の硬さを緩め、全身の張力を均一にしたとしても、浅層と深層で張力が異なってしまえば体が整うことにはなりません。張力を整えるための基本的な方法論は「全身を均一に緩める」となるのですが、体はどこかに強い緊張があればその周囲で緊張が弱くなるという全体の関係性の中で張力を保っているものです(分かりやすいのは「関節」ですが、ある関節が締まると近隣の関節は緩んでバランスをとります)。ある緊張を緩めるということは、その緊張とバランスをとって緩くなっていた部位が締まるということであり、この繰り返しで全身の張力を整えていきます。

この術式の一で行う手技は単純な押圧です。強く緊張している筋肉の中心(支点)に対して、真っ直ぐに、無駄なく力を加えるだけですが、これだけのことでも突き詰めて考えていくと相当の修練と技術が要求されます。本当の意味で「真っ直ぐに押す」ためには、術者が自身の体の歪みを打ち消す身体操作が必要となりますし、術者の10の力を目的の部位に対してそのまま10として伝えるためには、その力の伝達効率を最大まであげる必要があります。これは武術が長年の鍛錬によって無駄な動きを排し、必要最小限で動くための訓練と似ています。術式の一の手技は他の術式を行うための基盤であり、最も基本的な練習ですが、この基本が大和整体にとっては「奥義」に相当する難しさを持ちます。


 

その2

 

術式の一は体を「静と動」で考えた場合に、「静」に相当する施術です。患者さんの寝ている状態=止まっている状態で体の良し悪しを判断するからです。本来の自然な体が動く際に、どこを基点にどういう順番で動くという「序列」があるとして、この序列が乱れると体は歪み、機能低下に陥ります。序列の乱れとは悪い意味でのその人なりの「動きのクセ(悪癖)」です。序列の乱れ=動きの悪癖が強い場合には、術式の一で全身の張力を整えても序列が正されない場合があります。また、患者さんの体の問題がこの序列という問題に限局している場合は、何も全身の張力を整える必要はなく、序列だけを整えればいいことになります。これは術式の一の「静」に対する術式の二の「動」となります。

術式の二は「動きを整える」という整体です。体の動きは、それがどんなに僅かなものでも正しい序列を以って動くことが理想です。簡単には「ある動作を行う時に全身がその動作に対して協力的に働く」ということです。どんな動作も全身の協力の結果として起こるものなら、その動作の負荷は全身に分散されることになるので、その動作を何回繰り返しても疲労が局所に溜まることはありません。全身が正しく連携せず、局所に頼って動くのならば動作の負担はそこに集中することになります。こうした動きの偏りは運動器だけの問題ではなく、近隣にある内臓にも大きく影響するものです(間接的に内臓の機能改善の効果も持つということです)。

術式の二は基本的に術式の一の応用です。静的に体を整える術式の一に、動きの要素を加え、張力調整によって動きの序列を変えていきます。簡単な方法論としては、A→Bという序列で動くべき2つの関節があるとして、これがB→Aとなるのは、Aの関節で柔軟さが欠如し、より緩いBが先に動いてしまうということです。これを正すにはAの関節をBより柔軟にしておけば、自然とAの関節が先に反応するようになります。こうして全身の動きの序列を正していくのです。他にも術式の一の手技が施術対象となる「支点」に対して「力を溜める」という静的な力の伝達を行うのに対し、二では力を溜めずに術者が望む方向に力を誘導し、体に欠如している動きを作り出すなど行います(押圧による力の伝達経路を術者が望む形に変化させる)。

術式の二で重要視するのは「ベクトル」という概念です。体には見た目の歪みだけでなく、内部の潜在的な歪力というものがあります。真っ直ぐに見える足でも踏み出してみると内側に捩れるといった場合には、内部に「内旋方向」の歪力が生じているということです。外見的には内旋の歪みでも、内部の歪力は外旋方向であるなど、「体の動き」で重要になるのは見た目の歪みではなく内部の潜在的な歪力です。術式の二はこうした内部のベクトルまでを正すことで動きを整えていくものなので、外見的な歪みを重要視はしません。全身的に内部のベクトルが正しく整うことによって、結果として外見的な歪みも整うことになります。


 

その3

 

術式の一・二はそれぞれ観点が異なりますが、どちらも全身的に体を整えることを目的とした施術法です。これは「全身のバランスを整えることで体は本来の機能を取り戻す」という考え方ですが、何らかの理由で自力では正しく機能できない局部があると、術式の一・二ではうまく体が整いません。これは例えば過去のひどい捻挫や骨折などで、こうした問題が消えない限り体も整うことはありません。逆にいえばこうした問題が消失すれば、体が歪む原因自体が解消されることになるので体は自然と整いやすくなります。術式の三はこうした局所の開放から全身を整えていくという考え方をします。

この「問題」は上記のケガだけでなく、手術痕の引きつれ、慢性的な痛みを庇う「クセ」であったり様々ですが、そうした部位は強い緊張によって「固着」しているものと考えます。この固着をすべて解除し、正しく動ける状態にまで改善すると、その部位を庇う必要がなくなった体は自身で全身の動きを再構成し始めるので、その結果として体が整うことになります。ここで行う手技の基本は「剥離」で、筋肉・腱・靭帯など、全ての軟部組織が対象となり(関節の固着も周囲の軟部組織の問題と考える)、八つの術式の中で一番の精度を必要とします。これを通常「解体」と呼びますが、対象となる患部に対して歪力が消失するまでの徹底した施術を行います。ある局部でもそこに歪力のない状態=安定状態をつくると、理想的な体の再構成を引き出すことができます。

上記のひどい捻挫や骨折などでは「元通りには治らない」と考える方も多いでしょうが、このような機能不全の多くは、受傷時の痛みによって「庇う(強く緊張させる)」ことが日常化し、それが一定期間を経ることで安定しまうことによります。つまり機能不全の大部分は受傷そのものの問題ではないということです。仮に受傷そのものの問題が大きく、元通りにならない要素が多い場合でもあまり問題はありません。人間は体の機能を10割使えているわけではないので、全体として6割程度を使っているとしたら、その患部を7割まで回復させることできれば、その状態を維持することができればその患部を使うことに不都合はなくなります。また患部の機能的限界が低いのであれば、周囲にその機能を代償させて負荷を分散させることも可能です。

術式の三は施術を局所に集中させるため、僅かな部位から多くの情報を得ることができるという意義を持ちます。局所に徹底して施術を行うことで、その局所の構造を深く知ることができ、またその局所の変化に対して全身がどういった反応をするかなど、周囲または全身との関連性も知ることができます。体は常に全身でバランスを取り合っているので、極論をいえば「ある局所が整う」ということは全身が整うことに繋がります(局所が整うということはそれだけ難しいことです)。局所への徹底した施術には、その局所を中心に全身を捉えるという施術観がそれぞれ必要になるので、これが全身各所にあることを考えると術式の三だけでいくつもの施術観を包括していることになります。


 

その四

 

術式の一から三は体を整えるということを運動器の観点から捉えているので、運動器=体壁系と対をなす内臓系については重要視していません。しかし体の不調が内臓に起因することは多くあるので、内臓からみた施術観も必要になります。ただしここでは内臓をその生理機能の面から捉えるのではなく、運動器と同じく「動き」という観点から捉えていきます。内臓の問題はすぐ「生理機能の問題」と置き換えられがちですが、内臓を包んでいる体幹に「動き」がある以上、内臓も運動器の動きに影響を受けつつ働くものです。体幹の動きに対して内臓が協調する両者の関係が成立していれば、内臓は適度な運動刺激を受けつつ活性化することができます。術式の四では内臓をこうした「物理的な動き」の観点から整えていきます。

例えば腕を上げる時、体幹は同側で伸展方向にしなります。この時、同側の肺には伸展方向のベクトルが生じるので、肺自体の伸展に協調して動くことが自然です。しかし肺の機能が低下し、柔軟性が失われていると体幹の伸展に際して肺は過剰に牽引されることになり、強い緊張下におかれるために本来の生理機能を果たすことができません。また逆に体幹が内臓の不調を庇うように強く緊張していると、四肢の動きに対して体幹が正しく協調しないということも起こります。こうした運動器・内臓間の協調関係(連携)を正していくことが術式の四の目的ですが、そこで行う施術は内臓本来の柔軟な動きの回復が目的となります。

内臓の動きを整えていく時、最初は内臓を臓器個々で捉えるのではなく、内臓を腹腔・胸腔という2つの大きな袋として捉えます。この袋は運動器の内側=体壁と接していることになるのですが、ここで引きつれや強い緊張があっては、内部の各臓器が正しく動くこともできません。まずは体壁に対する腹腔・胸腔の柔軟性を改善し、体壁と腹腔・胸腔間の連携を回復させ、そのあとに必要に応じて個々の臓器間の連携を回復させていきます。ただ内臓の不調の多くの部分がこうした腹腔・胸腔そのものの引きつれや緊張に影響を受けている場合が多いので、こうした部分への改善だけでも各臓器の機能は活性化しやすくなります。

術式の四は内臓を施術対象とはしていますが、実際には内臓を「運動器の一部」と捉えているようなものです。内臓を「動き」の観点から捉えることで、運動器を扱うのと同じ感覚で内臓を扱っていけばよいので、内臓を対象とするからといって運動器と施術を変える必要はありません。ただし運動器に内臓を協調させることばかり意識するのではなく、内臓に運動器を協調させることも重要となります。これは「内臓が不調の時は運動器も内臓に無理のない範囲に動きを抑制する」というものですが、これは内臓が本来の柔軟性=機能を取り戻すとそうした感覚も回復するので、結果として得られる変化であると考えて下さい。術式の四は体壁・腹腔(胸腔)間、各臓器間の剥離を主体とするという意味では、術式の三を内臓に置き換えたものと捉えることもできます。